安藤忠雄さん

実は私、Olson Kundig Architects(←クリック)という事務所で働いてた時、「森の教会」という物件の担当をしておりました。その物件はベルビュー(ワシントン州)の森の中のプライベートの教会で、安藤忠雄さんが設計者、オルソンクンディグが地元の建築事務所。私はアメリカチームの中で唯一日本語がわかるスタッフ。予算のかんけいで中止となってしまいましたが、安藤事務所に訪ねたこともあるし、あのおもろいキャラ炸裂で打ち合わせをしたことも鮮明に覚えています。安藤事務所で担当をなさっていた私と同世代のSさんとは今でも交流があり、安藤さんのディテールを知りたい時は彼に質問しています。さてさて。昨日、やっとのことで安藤忠雄展に行ってきました。そして改めて安藤忠雄さんのパワフルでお茶目でゴッテゴテの関西人っぷりに、不思議な安堵感と感謝の念を感じました。来週の月曜日が最終日。まだ間に合いますよ!激混みだと思いますが・・・ヘッドセットを必ず手に入れてください。ヘッドセット越しに関西弁で説明をする安藤さんに笑みがこぼれます。なんだか近所のおっちゃんの展覧会に行った気分にさせてくれるのに、やってることは世界一。すごい人が日本にはいるもんだと思いました。頭大仏(←クリック)には是非行きたい!

光の教会の実寸大のモックアップがありました。でも、やっぱり光の教会は実際の方が断然いいです。2005年に訪問した時の写真をアップしました。建築にとって光って本当に大事だと思う。そして、教会にとって光って最重要課題だと思う。そんなことを再認識させてくれる展示でした。

 
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余談:この時の写真は花粉症の薬を飲んだあとで朦朧とした意識の中撮ったため、結構ボケています。フラフラでも心は大満足でした。リベンジ訪問したいですね。

 

 

セントルイスのアーチ St. Louis Gateway Arch

親戚の告別式があったためセントルイスにも行ったのですが、時間がない中、セントルイスのアーチ周辺を散策する機会に恵まれました。あまりにも美しくて帰国後はアーチの構造、エレベーターの構造、裏話など様々リサーチして中に見学できなかった分を埋めています。一言で言うと奇跡です。建設保険会社は建設前当初からおよそ13人は現場事故でなくなると予測していたのですが、結局事故で亡くなった方は一人もいなかったそうです。下のビデオは英語なのですが、私が時間と要約を下にまとめましたので、是非飛び飛びでも見ていただけると面白いと思います。アメリカにある偉大な建築のメイキングを楽しんで下さい。

 

9:45- 第2次世界大戦後行われた当時最大規模のコンペ(1947年)。賞金は125,000ドル、現在でいうと約1,875,000ドル、約2億円。イームズ夫妻なども参加したらしく全米より172案が提出された。ピラミッド案、ナイアガラの滝案、灯台案、方位磁石案など突拍子もない設計も少なくはなかった。

11:36- 第1審査で5プロジェクトの中に選ばれ、サーリネン事務所に連絡がいった。当時サーリネン事務所はすでに著名な建築家であった父、エリエル・サーリネンが率いる事務所であり、父エリエルも、息子エーロもコンペに参加していた。同じ事務所にいながらお互いの案を見ないように部屋の両隅で案を練った。秘書の間違いで吉報は父エリエルに届き、シャンパンでお祝いが始まった2時間後、実は息子エーロの作品が選ばれたと訂正され、2本目のシャンパンは息子のために開けたと言う話もある(←wikipedia enより参照)保守的なエリエルの作品は1930年代を彷彿させるもので選ばれなかったそうだ。 

14:53- コンペで勝ったはいいものの批判的な意見も多かった。中にはムッソリーニのアーチの盗作ではないかと疑われ新聞沙汰にまでなったが根本的なアーチの形状の差異を認められ容疑は直ぐに晴れた。

18:00- 長い設計期間の間に建築家エーロ・サリネンもコンペを企画した市民リーダーのルーサー・イーライ・スミスも亡くなっていた。しかし、工事は1961年に始まった。

19:00- ステンレス板の外枠と炭素鋼板の内枠の間にコンクリートを入れて立ち上げていく。基礎の深さは60ft(約18m)、36,000tのコンクリートが使われた。(因みにアーチの高さは192mです)

21:40- 現場の安全に対する法律が定まっていなかった頃の現場は今の常識から考えると恐ろしい風景である。地上数十メートル上で強い風が吹く中、安全ベルトもなく揺れるスチールの上で大工は作業をした。(22:10-見ているだけでもゾッとします)

32:30- 1万人もの住民や報道局が押し寄せる中アーチ最後のピース(要石)が設置されることとなる。しかし南側の鉄板が熱で膨張してしまい、開きは8.5フィート必要なところ2.5フィートしかない。消防車に要請して鉄板に水をかけてもらうが大した効果は見られず、最終的には構造設計士が用意していた油圧ジャッキで必要寸法まで広げて最後のピースを入れることとなる。(34:47- 最後のピースが入る瞬間)

37:15- どのエレベーター会社もこのアーチの中に入るエレベーターを設計することはできなかった。サリネンは自動車の立体駐車場の開発を進めていた高卒のディック・バウザーに期待し彼を雇った。彼ならできると信じて。しかし市の職員が彼の学歴と職歴に不満をもち不可能な期日を与えることで彼を外そうとしたがその試みはうまくいかなかった。エレベーターの条件は2つ。一つは1日(8時間)に3500人が訪問できるようにすること、もう一つはアーチの外観を触らないこと。最終的には観覧車からヒントを得た構造でエレベーターの設計が完成した。
 

 

いかがでしたでしょうか?説明文はかなり省略してしまったのですが大体は理解していただけたのではないでしょうか。工務店の方や構造の方ならこのアーチがどれだけ大変だったか想像できたと思います。今まで見たこともないものを建てるには構造も足場もエレベーターも全て新しく発明しなければいけなかったんですね。アメリカの20世紀建築のマスターピース。今後も美しくセント・ルイスの町を飾ることとなるでしょう。

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